『マトリックス』シリーズの難解な“謎”と“疑問”について
『デウス・エクス・マキナ』って誰よ???

今までの救世主がアーキテクトとの会話で選択を余儀なくされていたのに、機械の神である『デウス・エクス・マキナ』との直接交渉すれば助かるって???となる人も多いと思います。
ここで重要なのが、アーキテクト=プログラムで、プログラム=人間を電力供給源にした機会が作り出したモノ。という事。
つまりは、アーキテクトよりも機械の神である『デウス・エクス・マキナ』の方が上位権限者であり人類と対立している機械の親玉だという事。
『デウス・エクス・マキナ』との交渉について。
コチラについては、あまり疑問視するところも無いのですが…。エージェント・スミスの謎にも繋がるので解説をしていきます。
『デウス・エクス・マキナ』とネオの交渉条件は、
というもの。結局成就される願いでは電力源化されている人類の救済は入っていませんがアーキテクトの出した選択肢よりも助かる人類が多くなる交渉でした。
その条件の中に「①エージェント・スミスを消去する。」が入っているのが大きなポイント。
エージェント・スミスを消去する事が条件な理由

本来、目覚めた人類が「マトリックス」内で活動する事を排除する存在であるエージェントですが、劇中で描かれるエージェント・スミスについてはプログラムでありながら、その権限を逸脱し暴走を始めます。
暴走をする切っ掛けとなったのは、そもそもスミスが「マトリックスを出る為の自由を渇望している」という特異性を持っており、そこに第一作目『マトリックス』のラストでネオと一瞬だけ融合することにより救世主の特性に触れ覚醒した事です。
覚醒し通常のエージェントが持ち得るハズの無い複数人数への乗っ取り/コピー能力(※通常のエージェントは1回に1人だけ乗っ取れる)に目覚め、マトリックスに侵入した人間を乗っ取る事で現実世界に干渉したりと、その特異性を実現する為に暴走を開始します。
覚醒し本来のプログラムで無くなったエージェント・スミスは、エグザイルとなりプログラムでありながら制御できない存在になりシステムから漂流し、「マトリックス」の秩序さえも破壊するようになりました。結果「マトリックス」を制御する機械側からも厄介な存在になったのでした…。
あれ「エグザイル」って…??

今更ですが、エージェント・スミスがエグザイルになったと書きましたが「エグザイル」って何でしたっけ??と言う方もいらっしゃると思うので、こちらも解説していきます。
エグザイルとは「マトリックス」を運営していく中で、アップデートにより不必要になったプログラムや存在が不要になったり、異常を起こしたプログラムが「エグザイル」と定義されています。
ただ、この定義に当てはまらないオラクルの様な存在(直感プログラムとして稼働している)もいるので、実際には与えられた内容以外でも活動をするプログラムと言うのが正しい定義かも。
実際にエグザイルの役割が知りたい方は、別記事で紹介していますのでコチラからどうぞ。
過ぎ因みにですが…エグザイル(exile)の意味は追放された人、亡命者、流浪者。音楽ユニットの“EXILE”の活動開始は2001年で『マトリックス』シリーズより2年遅い。
暴走した「エージェント・スミス」の最期

話を戻して、暴走したプログラムである「エージェント・スミス」の最期について解説をしていきます。ただ、この最期については“明確な答え”が無いので、あくまでも推論の1つとして確認して下さい!
エージェント・スミスの最期は、雨の中でのネオとの戦闘によって訪れます。2人の戦闘はネオの劣勢で進むのですが、最終的にはスミスがネオ吸収してスミスが爆散して終結します。
この戦闘については、どちらが勝利したのかが解釈が分かれるのですが、結果としてはスミスがネオに同化した事により、デウス・エクス・マキナの制御下に入り爆散した結果に。スミスが死亡した事によりデウス・エクス・マキナは約束を守りザイオンの人々は救われ、ネオは機械に吸収されマトリックスも予定通りアップデートされるという結末に繋がるのです。
このエンディングは“ハッピーエンド”なのか??

最終的に『マトリックス』シリーズは、ネオの死。そして機械達の脅威は払拭されません。これは果たして“ハッピーエンド”だったのでしょうか?
これは『マトリックス レボリューションズ』の終盤も終盤。ネオとスミスの戦いが終わり、マトリックスが改変されたことを告げる黒猫が現れた後の、オラクルとアーキテクトの“この”会話に回答があるかもしれません。
この会話の通り、当初からこの6回目の「マトリックス」ではアーキテクトとオラクルの間で何らかの取決めがあったと思われます。その“取決め”が無いなのかは分かりませんが、ここでいう“危険なゲーム(賭けの方が訳的にはシックリしますが)”はネオがアーキテクトの選択肢を2択から選ばずトリニティーを助ける事を優先した事でしょう。
この選択肢を作り出した事で、オラクルは“何かを”掴み取ったのですが、それは機械と人間の共存でした。オラクルはプログラムで在りながら人間を信頼していたのかも知れません。
そして会話の締め括りで、「マトリックス」から覚醒していない人間達にマトリックスに残るか現実の世界に出るかを選択する権利を人間に与えることをアーキテクトが約束しています。
この会話からも分かるように、この後「マトリックス」内にいる人間には選択する権利が与えられたでしょうし(電力供給減として残る人類もいるでしょうが…)、機械の脅威は無くならないものの“ハッピーエンド”で良いのでは無いでしょうか?
『マトリックス』シリーズのストーリーや“謎”や“疑問”:まとめ
今回の記事で少しは『マトリックス』シリーズにおける難解な疑問が払拭されたでしょうか?
最期に2021年に公開される、『マトリックス レザレクションズ』は『マトリックス レボリューションズ』の続編ではなく、“1作目の続編”である事が分かっています。“レザレクションズ”の意味は“Resurrections”で復活。復活が意味するのは何なのか?これまでの『マトリックス』シリーズの疑問を払拭して観てもらえると幸いです!
コメント
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。なにかしら多神教的で日本的ななつかしさを感じさせるなにかによって。